チンパンジーは冒険をしない
チンパンジーは冒険をしない。
人間に最も近いDNAをもつチンパンジーも冒険はしない。
冒険は人間だけがする極めて特殊な行動である。
最近読んだ記事の中にこんな一節があり、僕は驚いた。
と、同時に冒険をしたくなった。
冒険といってもそんな大それたことではない。
早朝の散歩のことである。
いや、何時間寝ても寝足りない僕にとって朝6時からの散歩はれっきとした大冒険である。
どこを歩こう。数秒考えて通っていた小学校を見に行こうと決めた。
何年ぶりだろう、この道を歩くのは。
暑い日も寒い日も六年間歩いた道だ。
もちろん6時に歩いたことはないが。
日中は青、黄、赤を順番に灯している信号機が黄点滅している。
地面を照らす黄色い光が早朝の交通量の少なさを物語っているようで、本当に田舎だなと勝手に納得した。
息が白くなるのは外気が13℃以下になった時だと聞いたことがある。
ってことは今13℃以下かあ。。。なんて思ったが当たりめえだろ!!とも思った。
冬だぞ。あたりめえだろ!!
そんなことを思いながら歩いていると小学校に着いた。
近いなあ。徒歩10分である。
こんなに近かったかなあ、なんて思うがそれはきっと僕が成長したからだろう。
よし、小学校の周りを一周しよう。
校庭が見える。
長い歴史にふさわしくないカラフルな遊具が見えてきた。
タイヤの遊具。休み時間になるとインドの電車並みの乗車率になるあれだ。
僕が通っていたときはどこの廃車場から盗んできたタイヤだよってくらいのゴリッゴリのタイヤだったはずのアイツが赤、ピンク、青、黄色などに塗られていてなんか調子乗ってんな、なんて思った。塗るなそんなもん。ペンキの無駄遣いじゃ。
あれ、校庭狭くなった?
これも僕が成長したからか、なんて思っていたらソフトボーラー(ソフトボールをする人)時代、同級生に逆転スリーランを打たれた悪夢がよみがえって、校庭から目をそらした。
学校の裏に回ってきた。やっぱり何歳になっても誰もいない学校というのは不気味で思わず早足になった。目指せ9秒台ってくらいには速かったと思う。風切ってたし。
大きな木が見えてきた。二宮金次郎像の横に生える大きな木だ。
校舎にぶつからないようにまっすぐきをつけするように伸びたとても謙虚な木だ。
木の名前はわからない。ごめん。逆に言えば自由に名付けていいということか。いや、絶対違う。絶対違うんだけど僕はその巨木に名前を付ける。謙虚さんと呼ぼう。君は今日から「謙虚さん」だ。
謙虚さんは僕におかえりと言った。(ように感じた。)
よし、帰ろう。
色々懐かしくて、昔のこともたくさん思い出したけど、それ以上に小学校時代には気付くことのできなかったことにたくさん気付くことができた気がする。
とても新鮮だった。同じ道を歩いていても感じることは違う。そういう意味では本当に冒険をした気分になっていた。何度も歩いた道にも新しい発見って転がっているもんなんだなあなんて、そんなことを思った。
チンパンジーが冒険しないのは何故だろう。
きっと動物的な本能で、危険を回避しているんだろうな。
種を残すという動物的本能の中ではきっと長生きすることこそが最優先にするべきことで、リスクを伴う冒険はチンパンジーにとっては必要のないものなのだろう。
「冒険」というのはなにも荒野を歩いたり、ジャングルをかき分けることだけを言っているのではない。
生き方にも当てはめることができるだろう。
自分を探し、自分を信じ、人の行っていない道を行く。これもまた冒険である。
人間は冒険をする。きっと冒険をすることが「生きている実感」を得るための一つの方法なのだろう。
皆さんご存知の通り、僕も人間だ。
人間は冒険をする。人間に生まれてよかった。たくさん冒険しよう。そう思った。
家に着くころには空が、夜と朝の境目がぼんやりわかるくらいの色になっていた。
僕はあの色が好きだ。あの色にも名前を付けたい。まあ冒険してる間に思いつくだろう。人生冒険冒険。。。
おわり