ほそくたなびくけむり
ないものねだり、とでも言おうか。
夏になったら冬が恋しくなり、冬になったら夏が恋しくなったりするものだ。
恋しくなる、と表現したが、何も気温のことだけを言っているのではない。
日本には四季があり、それぞれの季節に趣がある。
皆さんはどんな時に季節を感じるだろうか。
例えば夏。
「夏が来たな」と感じるのはどういう時だろうか。
青空を敷き詰める入道雲を目にした時だろうか。
けたたましいセミの鳴き声を聞いた時だろうか。
はたまた、溶けかけのアイスキャンディーを口にした時だろうか。
季節の到来の感じ方は本当に人それぞれだと思う。
生まれ持った五感を駆使し、季節を感じるのだ。
四季は違った顔を持ち、それぞれに趣がある。
季節がめぐる度に僕は月日の経過を感じ、そして少しだけ切ない気持ちになる。
これは数値として可視化されたものではないので、感覚的なものだが、僕は人に比べて、「匂い」というものに敏感かもしれない。
季節の到来に関しても、視覚や聴覚よりも「匂い」として心に入ってくることが多いのだ。
そしてその匂いのほとんどに思い出(思い出というよりは記憶?)が詰まっている。
昨日のことだ。
駅からの帰り道。
路地裏を歩いていると土の濡れた匂いがした。
高校時代、灼熱のグラウンドに水を撒いたとき、同じ匂いがしていたことが不意に思い出される。
もちろん場所は違う。
でも同じ匂いだった。
匂いと記憶は僕にとって切っても切れないものなのかもしれない。
僕はお香が好きだ。
最近は寝る前に部屋で焚いている。
お香。我ながら激シブだと思う。
お香は本当に良い。
醤油皿ぐらいの小さなお皿に火を点けたお香をそっと据える。
ほそくたなびくけむりがゆっくりと部屋に充満する。
「ほそくたなびくけむり」とあえて表現したのはそのけむりのやわらかな印象からだ。
「細くたなびく煙」ではなく「ほそくたなびくけむり」である。
匂いに敏感な僕にとって、お香は色んな思い出を呼び覚ましてくれる。
金木犀のお香を焚けば、小学校からの帰り道を思い出すし、ヒノキのお香を焚けば、家族で行ったキャンプを思い出す。
ラベンダーのお香を焚けば、夏の北海道旅行を思い出したりもした。
そして不思議なことに、お香の香りで思い出す記憶は何故か幸せなものばかりなのだ。
お香の香りで嫌な記憶が呼び覚まされた経験は、まだない。
いつもそれらの優しさ、温かさに心を包まれ、幸せな気持ちになる。
嫌なことがあり傷付いた時、泣きたくなった時、何もかも投げ出したい時、そんな時にお香は「こんな楽しいこともあったよね」と言わんばかりに部屋に幸せな匂いを振りまく。
僕は「匂い」に救われているのかもしれない。
これからも「匂い」に、寄り添っていたい。
幸せな記憶をすぐ思い出せるように。
おわり