東京の月は逃げる
今日もお疲れさん。
月は僕に語りかけた。
午後11時30分、一日が終わりかけるその時刻。僕はバイトを終え、なんとなく空を見上げた。
西の低い位置にいた弓張り月は、白でもなく黄色でもない、山吹色とでも言おうか、そんな色であった。
綺麗、、、
乙女か!なんて思われるかもしれないが、そう思ってしまったのだから仕方がない。
とにかく綺麗な月だった。
半年ほど前、ある友達と冬の夜道を歩いていると、その友達はいきなりこう言った。
「今日月めっちゃ綺麗じゃん。」
空を見上げると白くて大きな満月。
とても綺麗な月だった。
何か僕たちを見守ってくれているような優しくて大きな月だった。
年に何度か、スーパームーンというものが見える日がある。
地球から見える月が非常に大きくなるその日。
実はその友達と見た月はスーパームーンであった。
あとから聞いたらその友達はその日がスーパームーンだということは知らなかったそうだ。
それ以来僕は、その友達のことを「何の事前情報もなしに月の綺麗さに気付ける人」として認識していて、そんな人に自分もなれたらいいな、なんてこっそり思っていた。
さて話は戻って昨日。
午後11時30分、バイト先のスーパーを出ると、西の低い空にたたずむ山吹色の月。
一日の疲れを癒すような綺麗な月に、思わずため息を漏らす。
そして、誰かに教えてあげたくなった。
僕には大切な人がいる。
嬉しいことも辛いことも、一緒に共有したい、そんな風に思わせてくれるとても素敵な人だ。
気付いたら送信していた。
「月、見て。すごい綺麗だから。」
すぐ返信がきた。
「わかった!探す!」
なんと愛しい返信。
そして平安時代の文通みたいなやりとり。
「絵本の月みたいだね。綺麗。」
その人は言った。
こんなこと言ったら理系の人にはかなりバカにされそうだけど、月って割と本気で離れてる人を繋ぐものだと思う。
「離れてる人が一緒に綺麗だねって思うためにあるんだね月って。」
今考えると身の毛もよだつような恥ずかしいことを、ついその人には言ってしまった。
普段は恥ずかしいようなことも、なんとなく素直に言ってしまう、僕を素直にしてくれる人だ。
口座番号だけは言わないようにと、いつも自分に言い聞かせているぐらいに。
まあいい、とにかく誰かに教えたくなるような月が見られたこと、そしてそれを教えてあげる人がいること、そしてその人も同じ月を見て、綺麗だねって思ってくれたこと、僕はそれがとても幸せだった。
家に帰る頃には東京の高いビルの陰に消えてしまっていた愛しい月。
家に帰る前にちゃんと写真におさめようと思ったのに、ヤツの姿はどこにも見当たらなかった。
なんだか逃げられた気分だ。
東京の月は、逃げるんだなあ。
でもいずれまた、忘れた頃に僕を癒してくれ。
そんなことを思いながら、ポケットの鍵を探した。
その頃にはもう、日付は変わっていた。
心を動かす月に、また出会えますように。
おわり