きれいなシャツを心に纏え

5月28日月曜日、昨日の話だ。

 

二週間後に迫る試験に向け、テキストの内容を頭に叩き込んでいた。

 

集中力が長持ちする方ではない。

 

「よし」と呟き、お勉強タイムに勝手に終止符を打った。

 

72分。

短い。驚異の集中力。

 

以前東京から岡山に帰る際に新幹線で勉強をしようと思ったが、新横浜に着く頃にはやめていたことがある。

僕はそういう人間だ。

 

気分転換に散歩でもするか(気分転換するほど勉強したわけではないが)と思い、家を出た。

 

あてもなくフラフラと歩いていたら沖縄料理屋の前に着いた。

 

迂闊だった。

皆さんご存知ないとは思うが僕は時々猛烈な「沖縄料理欲求」に掻き立てられる。

その欲求は「沖縄料理を食べたい」なんてものではない。

もはや「沖縄を身体に染み込ませたい」「沖縄になりたい」

そういった境地まで来てしまっているのだ。

 

沖縄料理屋の前を通りがかった時、

「ああ、ゴーヤチャンプルーを自分の細胞に取り込みたい」

そう思ってしまった。もはや変態。我ながらキモい。

 

 

金曜日に会う約束をしているあの人に連絡をする。

 

「ねえ沖縄料理食べれる?」

 

割とすぐ返事が来た。

 

「ゴーヤチャンプル―だいすき、バケツくらい食べよう」

 

 

甘いな。今の僕はもはや沖縄料理の権化。

 

 

業務用ポリバケツの画像を添付して「バケツってこれよね?」って送ったらちょっと引かれた。

 

ちょっと引かれはしたけど、金曜日は沖縄料理を食べに行くことになったし、自分の好きなものをあの人も好きだと言っていたのがなんだか嬉しくて、ご機嫌で歩いた。

 

 

 

 

 

 

ペチャッ。

 

 

「?」

 

 

突然のことに僕は一瞬何が起こったのかわからなかったが、

みぞおちのあたりに何かがぶつかったこと、それが鳥のフンであったこと、運悪く僕のグレーのTシャツにその鳥のフンの色が映えてしまっていたこと、それらに気付いた時、思わずため息がこぼれた。

 

今まで鳥のフンが当たった人はたくさんいると思うが、みぞおちの位置に被弾した人ってなかなかいないと思う。

 

 

周囲の注目を一心に浴び、俯きながら歩いた。恥ずかしかった。

 

 

あの時の僕は、端から見たら確実に「鳥のフンを胸トラップした人」であった。

 

 

家までの道のりが、いつもより長く感じた。

 

 

早く、早く家に着け、心の中で全国津々浦々の天満宮、神宮をお参りした。

 

太宰府天満宮も、出雲大社も、伊勢神宮も。全部行った。

 

「早く家に着きますように。」

心の中なのでお賽銭は多めに入れた。

 

 

 

家に帰ってすぐシャツを脱ぎ、手洗いした。

 

 

 

胸の中心にべったりと付いた鳥のフンが、ちょっとだけ、ほんとにちょっとだけアーティスティックな模様にも見えたのがなんだか悔しくて、面白くて、小さく笑ってしまった。

 

 

数十分の散歩の間に、嬉しいこと、悔しいこと、様々なことを感じた。

 

 

生きていたらきっとこの先、この散歩みたいに色んなことが起こって、色んな感情と出会うんだろうなあ。

 

 

たとえ嫌なこと、辛いことがたくさん起こっても、このシャツみたいに洗って流していけたらいいなあ。

 

 

ゴシゴシと擦られて、落ちていく汚れをじっと眺める。

 

 

いつまでも、きれいなシャツと、きれいな心を身にまとっていたい。

 

 

そんなことを一人思った。

 

 

おわり