突然の別れ

アイツはどこだ。

アイツってドイツやねん。読者のそんな声が聞こえる。

アイツとはイヤホンのイヤーピースのことだ。

耳を密閉し、ノイズをシャットアウトするあのゴムの部分のことだ。

アイツは優秀だ。

街ゆく人の声、街の巨大モニターから流れる知らないアーティストの歌声、電車の鳴き声(ガタンゴトン)、色んなものをシャットアウトしてスマホから再生される音楽に集中させてくれるアイツは本当に優秀な奴だ。

アイツが居ない。

正確に言えば右耳のアイツだ。

左耳のイヤホンにはしっかりイヤーピースは付いており、どこか、居なくなった相方の行方を心配そうに案じているようにも見える。

いや困る。突然のことだ。

右耳から入るいらない情報をシャットアウトしていてくれていたのは、紛れもなくアイツであり、アイツが居なくなった今、僕の右耳は言わば無敵の城壁に空いた唯一の突破口なのだ。

突然訪れたこの状況に僕と、僕の左耳イヤホンは困惑している。

僕とアイツとの出会いは二年前だ。

吉祥寺のヨドバシカメラのイヤホンコーナーにひっそりとたたずんでいたアイツは僕が手に取ると嬉しそうな顔をした。(ように感じた)

イヤホンの交換のタイミングの相場が分からないからこの二年という期間が長いのか短いのかは分からないが、ずっと大切にしてきたつもりだ。

その相棒が今、僕の元を去っていってしまった。

どうしよう。

 

信頼関係が出来、満を持して鎖を外し、放し飼いにしてみた愛犬に逃げられた気分だ。

何故逃げられた。

信頼関係とは、ここではイヤーピースと耳の穴の大きさに当てはめられる。

抜群だった。

大きすぎず、小さすぎず、僕の為に作られたのかというくらいのフィット感。抜群だった。

 

ただ、アイツが逃げ出す兆候が全くなかった訳ではない。

数週間前のこと。家に帰り、イヤホンを外すとアイツはポロッと床に落ちた。逃げようとしたのだ。

未遂の時点で僕に見つかったので、少し気まずそうな目をしたアイツを僕は優しく叱り、イヤホンにグッと押し込んだ。もう逃げないように。

考えてみればアイツも辛い思いをしてきたのかもしれない。早朝のランニング、深夜のコンビニにも嫌な顔一つせず付き合ってくれた。

アイツもきっと可愛い女の子のお耳の恋人になりたかったのだろう。そう考えると僕はなんだか申し訳ない気持ちになった。

と同時に「もうアイツのことは諦めろ」と神様に言われたような気がした。

 

 

 

 

 

再会は突然のことだった。

アイツのことはもう諦めてスペアの新しいイヤホンピースを買いに行こうと思い、カバンの中から財布を取ろうとした時。

 

ぽっ、、、ぽろんっっ、、、照

 

アイツだ!!!!

 

2つ折りの財布のあいだからバツが悪そうに姿を現したのは、、アイツだ!

照れてる!照れてる!怒るべきところなのにすごく可愛いと思ってしまった!可愛すぎる!!

 

何やってたんだ!!もう!!バカバカ!!

ごめんな、、ほんとにごめんな、、、、

 

声に出して言ってはいないがそんな気持ちを込めてティッシュで優しく拭いてやった。

 

「アイツ」は「コイツ」に戻った。

近くにいるから。帰ってきたから。

 

これからはもっと優しくしよう。

もう逃げられないように。

君が船なら、僕はそれを迎え入れる港になろう。

君が辛い時、僕は寄り添っていよう。一緒にいることは当たり前ではない。

月並みな言葉ではあるが、失ってから気付く大切さというやつだ。

ずっと一緒にいよう。

僕の右耳は、君しか守れないから。

 

 

おしまい