流れる、こぼれる、溢れる、にじむ

 

涙は色んなあらわれ方をする。

 

僕は今まで、人前で涙を流すことを極力避けてきた。

 

恥ずかしいし、自分には涙が似合わないと思っていたから。

 

どうしようもなく悔しかったり、どうしようもなく嬉しかったり、そんな時に今までの僕はどうしていいのかわからず、感情をうまく処理できずにいた。

 

ただ、この上なく感情がたかぶった時、言葉より先に涙が出てくることがある。

 

涙が出てからその涙の理由を考えるのだ。

 

「そうか、泣けばいいんだ。」

 

嬉しすぎて涙が溢れたとき、それに気付いた。

 

涙は心を浄化する。

悔しさも、嬉しさも、切なさも、悲しみも。

それまでモヤモヤと煙のように掴めなかった感情は、涙を流すことでスッと心に落とし込めるようになる。

 

心を浄化するってきっとそういうことだと思う。

 

言葉に言い表せない感情のたかぶりを、涙は処理してくれる。

 

涙を流すという行為は、決して恥ずかしいものではないな、今ではそう思う。

 

どうして泣いているんだろう。

 

そんなことを思う時もあるけど、そんなの後で考えればいい。

今はただ、思い切り泣けばいい。

そう思うことも増えた。

 

 

ある人が泣いていた。6月の夜だ。

複雑に入り組んだ感情がうるうると溜まっていき、やがてそれは大粒の涙となってポロポロとこぼれた。

頬を伝うのではなく、ポロポロと下に落ちるのだ。

泣いている人を見ているのにこんなことを思うのはいけないことなのかな、そんな風に感じて口には出さなかったけれど、綺麗だった。

綺麗な涙だった。

 

今は言葉なんていらない時か。

 

そう感じた僕は、黙ってこぼれる涙をハンカチで拭った。

 

本音を言えば、なんて声を掛けてあげようか、涙を拭く時間で考えていたのだけれど。

 

 

 

いつでも涙を流せるように、そして、あなたの涙を拭ってあげられるように、綺麗なハンカチを持って、今日も出掛けよう。

 

夏のはじまりに思うことでした。

 

 

おしまい

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

父にもらった大切なもの

「大きな木には大きな根がある」

 

小学校のソフトボールチームを卒部する際に、記念品として父兄から贈られたボールには父の字で大きくそう書かれていた。

 

当時の僕はこの言葉の意味をあまり考えなかった。ただ、記念品をもらったということで満たされていたのだ。

 

よく意味を考えず、ただ贈呈品として受け取った。

12歳の息子は、父の言葉をよく噛まずに飲み込んだのだ。

 

 

先日実家に帰った。

僕がこの実家を離れてもう5年が経つ。

主をなくした僕の部屋は、僕が日常を過ごしていた頃に比べて少し寂しそうだ。

部屋の隅にちょこんと置いてあった卒部の記念品に目をやる。

そこで目にしたのが、冒頭に書いた父の言葉である。

 

 

僕は父のことを生きるのが上手い人だとずっと思っている。

僕ができないことを飄々と淡々とこなしていくのだ。

 

嫌なことにも向き合い、悩みの芽を摘む。

問題が大きくなる前に対処する。

 

それは家族の悩みでも同じで、僕が悩んだり、辛い思いをしている時、ヒントとなるような言葉をそっと投げかけてくれる。

 

僕にとって父は、大きな木だ。

そして、その大きな木には大きな根が強く張っていることも知っている。

 

色々なことを経験し、色んな苦労を知る父は、50年余の人生で上へ上へと幹を伸ばすのと同時に、深く強い根を地面に張ったのだろう。

 

そんな父の姿はいつも僕の憧れで、こんな父親になりたいといつしか思うようになった。

 

 

 

深い人間になりたい。

 

とは思うが、きっとなろうとしてなれるものではないのだとも思う。

 

父によく言われてきた、「目の前の問題から逃げずに向き合いなさい」ということは僕が1番大切にしなければならないことだ。

 

そしてそうやって目の前の課題を丁寧にひとつひとつこなしていくことこそが、大きな根を張るということなのではないかと、僕は今考えている。

 

父の影響を受けて育ってきた僕。

父の好きなものはいつしか、僕の好きなものになった。

 

バイク、釣り、アウトドア、地理、珈琲。

 

あとやめたけど煙草(笑)

 

言い出したらキリがないぐらい、父の影響を受けてきた。

 

受け継がれたもの、そのすべてに父の面影を重ね、父を思い出してしまう。

 

海を見ると父と釣りに行ったことを思い出し、街中を走るバイクを見ると「父さんが欲しいって言ってたやつだ!」なんて思ってしまう。

 

父さんが僕の父でよかった。

これは心のずっとずっと深いところにある揺るがぬ思いだ。

 

「大きな木には大きな根がある」

 

この言葉を僕に贈った父の気持ちは厳密に言えば父にしか分からないことなのかもしれない。

 

だけど、23歳になった僕はこの言葉を噛まずに飲み込んだりはしない。

 

よく噛んで、噛んで、噛み砕いて、今はまだその途中だ。これからもこの言葉をしっかり味わっていくつもりだ。

 

飲み込むのがいつになるかはわからないが、僕は死ぬまでこの言葉と共に生きていく。

 

大きな根を持つ、大きな木に、僕はなりたい。

僕の自慢の、父さんのような大きな木に。

 

そしていつか、父さんのような父親になりたいと考えていて、

 

そうしたら子供には同じようにこの言葉を贈ってやりたいとも、今思っている。

 

父さんが僕にくれたものを、同じように受け継いでいきたい。

 

きっとそうやって、人って死ぬまで、いや死んでからもずっと生き続けるものだから。

 

だから父さんにもらったすべてのもの、大切に大切に生きていこう。

 

 

父さん、いつもありがとう。

息子は元気です。

いくら偉大な父親であれど、上手くいかないこと、落ち込むこと、あると思います。

でもそんな時は、強がらないで、時には弱い姿見せてもいいからね。

たくさんもらってきた分、少しずつ恩返しさせてください。

これからもどうかお元気で。

 

 

おしまい

 

 

 

きれいなシャツを心に纏え

5月28日月曜日、昨日の話だ。

 

二週間後に迫る試験に向け、テキストの内容を頭に叩き込んでいた。

 

集中力が長持ちする方ではない。

 

「よし」と呟き、お勉強タイムに勝手に終止符を打った。

 

72分。

短い。驚異の集中力。

 

以前東京から岡山に帰る際に新幹線で勉強をしようと思ったが、新横浜に着く頃にはやめていたことがある。

僕はそういう人間だ。

 

気分転換に散歩でもするか(気分転換するほど勉強したわけではないが)と思い、家を出た。

 

あてもなくフラフラと歩いていたら沖縄料理屋の前に着いた。

 

迂闊だった。

皆さんご存知ないとは思うが僕は時々猛烈な「沖縄料理欲求」に掻き立てられる。

その欲求は「沖縄料理を食べたい」なんてものではない。

もはや「沖縄を身体に染み込ませたい」「沖縄になりたい」

そういった境地まで来てしまっているのだ。

 

沖縄料理屋の前を通りがかった時、

「ああ、ゴーヤチャンプルーを自分の細胞に取り込みたい」

そう思ってしまった。もはや変態。我ながらキモい。

 

 

金曜日に会う約束をしているあの人に連絡をする。

 

「ねえ沖縄料理食べれる?」

 

割とすぐ返事が来た。

 

「ゴーヤチャンプル―だいすき、バケツくらい食べよう」

 

 

甘いな。今の僕はもはや沖縄料理の権化。

 

 

業務用ポリバケツの画像を添付して「バケツってこれよね?」って送ったらちょっと引かれた。

 

ちょっと引かれはしたけど、金曜日は沖縄料理を食べに行くことになったし、自分の好きなものをあの人も好きだと言っていたのがなんだか嬉しくて、ご機嫌で歩いた。

 

 

 

 

 

 

ペチャッ。

 

 

「?」

 

 

突然のことに僕は一瞬何が起こったのかわからなかったが、

みぞおちのあたりに何かがぶつかったこと、それが鳥のフンであったこと、運悪く僕のグレーのTシャツにその鳥のフンの色が映えてしまっていたこと、それらに気付いた時、思わずため息がこぼれた。

 

今まで鳥のフンが当たった人はたくさんいると思うが、みぞおちの位置に被弾した人ってなかなかいないと思う。

 

 

周囲の注目を一心に浴び、俯きながら歩いた。恥ずかしかった。

 

 

あの時の僕は、端から見たら確実に「鳥のフンを胸トラップした人」であった。

 

 

家までの道のりが、いつもより長く感じた。

 

 

早く、早く家に着け、心の中で全国津々浦々の天満宮、神宮をお参りした。

 

太宰府天満宮も、出雲大社も、伊勢神宮も。全部行った。

 

「早く家に着きますように。」

心の中なのでお賽銭は多めに入れた。

 

 

 

家に帰ってすぐシャツを脱ぎ、手洗いした。

 

 

 

胸の中心にべったりと付いた鳥のフンが、ちょっとだけ、ほんとにちょっとだけアーティスティックな模様にも見えたのがなんだか悔しくて、面白くて、小さく笑ってしまった。

 

 

数十分の散歩の間に、嬉しいこと、悔しいこと、様々なことを感じた。

 

 

生きていたらきっとこの先、この散歩みたいに色んなことが起こって、色んな感情と出会うんだろうなあ。

 

 

たとえ嫌なこと、辛いことがたくさん起こっても、このシャツみたいに洗って流していけたらいいなあ。

 

 

ゴシゴシと擦られて、落ちていく汚れをじっと眺める。

 

 

いつまでも、きれいなシャツと、きれいな心を身にまとっていたい。

 

 

そんなことを一人思った。

 

 

おわり

 

 

 

 

 

 

 

 

 

東京の月は逃げる

今日もお疲れさん。

 

月は僕に語りかけた。

 

 

午後11時30分、一日が終わりかけるその時刻。僕はバイトを終え、なんとなく空を見上げた。

 

西の低い位置にいた弓張り月は、白でもなく黄色でもない、山吹色とでも言おうか、そんな色であった。

 

綺麗、、、

 

乙女か!なんて思われるかもしれないが、そう思ってしまったのだから仕方がない。

 

とにかく綺麗な月だった。

 

 

 

半年ほど前、ある友達と冬の夜道を歩いていると、その友達はいきなりこう言った。

 

「今日月めっちゃ綺麗じゃん。」

 

空を見上げると白くて大きな満月。

とても綺麗な月だった。

何か僕たちを見守ってくれているような優しくて大きな月だった。

 

年に何度か、スーパームーンというものが見える日がある。

 

地球から見える月が非常に大きくなるその日。

実はその友達と見た月はスーパームーンであった。

 

あとから聞いたらその友達はその日がスーパームーンだということは知らなかったそうだ。

 

それ以来僕は、その友達のことを「何の事前情報もなしに月の綺麗さに気付ける人」として認識していて、そんな人に自分もなれたらいいな、なんてこっそり思っていた。

 

 

 

 

 

さて話は戻って昨日。

午後11時30分、バイト先のスーパーを出ると、西の低い空にたたずむ山吹色の月。

 

一日の疲れを癒すような綺麗な月に、思わずため息を漏らす。

 

そして、誰かに教えてあげたくなった。

 

僕には大切な人がいる。

嬉しいことも辛いことも、一緒に共有したい、そんな風に思わせてくれるとても素敵な人だ。

 

気付いたら送信していた。

 

「月、見て。すごい綺麗だから。」

 

すぐ返信がきた。

 

「わかった!探す!」

 

なんと愛しい返信。

そして平安時代の文通みたいなやりとり。

 

「絵本の月みたいだね。綺麗。」

 

その人は言った。

 

 

こんなこと言ったら理系の人にはかなりバカにされそうだけど、月って割と本気で離れてる人を繋ぐものだと思う。

 

 

「離れてる人が一緒に綺麗だねって思うためにあるんだね月って。」

 

 

今考えると身の毛もよだつような恥ずかしいことを、ついその人には言ってしまった。

 

普段は恥ずかしいようなことも、なんとなく素直に言ってしまう、僕を素直にしてくれる人だ。

口座番号だけは言わないようにと、いつも自分に言い聞かせているぐらいに。

 

 

まあいい、とにかく誰かに教えたくなるような月が見られたこと、そしてそれを教えてあげる人がいること、そしてその人も同じ月を見て、綺麗だねって思ってくれたこと、僕はそれがとても幸せだった。

 

家に帰る頃には東京の高いビルの陰に消えてしまっていた愛しい月。

家に帰る前にちゃんと写真におさめようと思ったのに、ヤツの姿はどこにも見当たらなかった。

なんだか逃げられた気分だ。

 

東京の月は、逃げるんだなあ。

でもいずれまた、忘れた頃に僕を癒してくれ。

 

 

そんなことを思いながら、ポケットの鍵を探した。

 

その頃にはもう、日付は変わっていた。

 

 

心を動かす月に、また出会えますように。

 

 

おわり

 

 

 

 

 

 

 

 

あなたのもとに生まれて

 

23年前の春、僕は産声をあげた。

正午を過ぎてからやっとお腹から出てきた僕。

今でも僕が昼過ぎまで寝てたら時々母は

 

「まああんたは生まれる時も昼過ぎるまでなかなか出てこなかったからね。」

 

なんて冗談を言う。

 

生まれて23年、色んな母を見てきた。

きっと僕の父から見た母、僕の妹から見た母、それぞれあると思うけど、僕から見た母は僕しか知らない。

 

朝7時には仕事に出て行った母

 

でも家族の弁当はちゃんと作ってから家を出てた母

 

その弁当の袋に「今日も頑張れ」なんてちっちゃな手紙を添えてくれてた母

 

家に帰ってからも、赤ペンで採点をしていた母

 

休みの日はよく寝る母

 

犬アレルギーなのに、誰よりも早く起きて愛犬に餌をやる母

 

お出かけするといつもハンカチを落とす母

 

よくシャツを前後ろ逆に着る母

 

シャツを表裏逆に着たりもする母

 

忙しいのに仕事を切り上げて、少し遅れて参観日に来てくれた母

 

親子ソフトボール大会で打球を食らって周りに心配される母

 

「守ってた位置が良すぎたのね」なんて冗談を言って周りに気を使わせないようにしてた母

 

 

 

この格好変じゃない?って何度も何度も確認してくる母

 

変じゃないよって言うと嬉しそうにする母

 

喧嘩してもちょっと経ったら「さっきはごめん」って言ってくる母

 

あんたの作ったお味噌汁の方が美味しいねってなんだか自信なくしてた母

 

母さんの味に似てると思うけどなって言ったら少し嬉しそうにした母

 

僕が嬉しいとき、一緒に喜んでくれた母

 

僕が辛いとき、一緒に泣いてくれた母

 

時々「母さんほんとダメだね」ってヘコむ母

 

どんな母もたった一人の僕の母で、息子はそんな母のことがとても大切です。

 

親だけは選べない、なんて言葉があるけど、僕は母さんのもとに生まれてこれて本当に幸せです。

 

普段はこんなこと、絶対言えないけど

 

今日はなんだか素直になれた。

 

母さんいつもありがとう。

息子は感謝しています。

 

あなたのもとに生まれて、本当によかった。

 

 

おわり

 

 

 

 

僕は元気です。

この記事で僕の人生は少し変わるかもしれません。

今まであまり人に言ってこなかった話を今日はしてみようと思います。

 

一型糖尿病という病気をご存知でしょうか。

1型糖尿病 - Wikipedia

ほとんどの方が知らないと思うのでwikipediaではありますがリンクを貼りました。

結論から言うと、僕はこの病気を持っています。

2013年の5月、この病気が発覚した時、母は泣いていました。

10万人に2人とも言われるこの病気に、なぜ僕が。

僕も泣きました。悔しかった。

そして人に言うのも怖かった。

 

「糖尿病」

 

その言葉のパワーが、僕を躊躇させた。

 

糖尿病には2種類あり、僕が持っている1型糖尿病は免疫疾患などから膵臓のβ細胞が壊れ、インスリンが分泌されなくなり、何もせずに食事をとると、血糖値が上昇してしまうというものだ。

暴飲暴食などの生活習慣の乱れなどからくる2型糖尿病とは全くと言っていいほど違うものなのだ。

 

ただ、普通の人から見たらどう思われるだろう。

そんなことを気にして、僕は周囲に病気のことはほとんど言わずに生きてきた。

僕の中にあった、一番大きな気持ちとして、

「かわいそうと思われたくない。」というものがあった気がする。

ただでさえ周りと違うことを避ける自分が、なんでこんな病気に。

本当に悔しかった。

 

自分の身体からインスリンが分泌されていないから、僕は食事の前、注射器でインスリンを自分で投与している。

これはその時の食事の糖質の量に応じて必要な分のインスリンを投与するという、かなり面倒な作業ではある。

もちろん今では慣れて、スムーズにできるようにはなったが。

友達と食事に行った時は、トイレに行くと言って、そこで注射をしていた。

だから周りの人は知らないだろう。

というかこの記事を読んできっとびっくりしていることだろう。

 

友達のせいではないのだ。

自分が気にしすぎていて、言えば楽になれるのに、自分で自分を苦しめていたような気がする。

 

親にはよく言われた。

「早く周りに言って楽になりなさいよ」

そんなに簡単なことではなかった。

ただ親の気持ちは本当にありがたかった。

独りで悩むんじゃなくて、早く楽になってほしい。

きっとそんな思いで声をかけてくれていたのだろう。

 

ただそんなに簡単に僕の性格は変わらないし、結局ずっと隠してきた。

病気を打ち明けることで、周りの人たちに気を使わせてしまうのではないか、周りの人間はみんな僕から離れていってしまうのではないか。

そんなことばかり考えていた。

 

僕は文章を書くのが好きだ。

そのことに気付くことができたのはつい最近の話で、だから今こうやってブログを書いている。

楽しい、本当に好きだ、そんなものに出会った時、人は変わるということを知ったのもそれ以来だ。

本当にやりたいことを見つけた時、なんだか世界が違って見えた。

きっと好きなものって眼鏡みたいなもので、それがあることによって目の前の視界が一気にクリアになる。そんなものなんだと思う。

 

生きるのが楽しくなってきて、僕はこの春休み、勇気を出して友達の一人に病気のことを言ってみた。すごくヘラヘラした感じで打ち明けたが、本当は怖くて怖くて逃げだしたかった。

 

ただその友達は言った。

「なんで今まで言ってくれんかったんや、ひとりで苦しかったろ。」

 

本当に泣きそうなほど嬉しかった。

言ってよかったと思ったし、心が軽くなった。

 

と同時に、人のやさしさに触れ、温かい気持ちになった。

好きなことを見つけるとこんなにも世界って変わるのか、なんて一人で感心したりして。

 

1型糖尿病は闘う病気ではないと僕は思っている。

付き合っていく病気なのだ。

今僕は自分の身体とコミュニケーションを取りながら、この病気と付き合っている。

食前の注射さえすれば健康な人となんら変わりのない生活のできる病気ではある。

というか、糖質量を気にしながら食事をしているという点では、そこら辺の大学生よりよっぽど健康な生活をしているのかもしれない。

 

この病気になって、好きなものに出会えてから、僕は小さな幸せにたくさん気付くことができるようになった。

朝、鳥が楽しそうに鳴くこと、青い空が広がっていること、路地裏に小さな花が咲いていること。

色んな事に目を向け、そこに温かい気持ちを抱けるようになった気がする。

 

好きなことは人間を変える。

ここまで読んでくれたあなた、本当にありがとう。

僕は2013年からの5年分の勇気をこの記事にぶつけたつもりです。

こんな僕でよかったら、これからも応援してくれると嬉しいです。

「かわいそう」という感情はもちろん抜きで(笑)

 

そして今読んでいて「初めて知った!」という僕の大切な知人の方、隠していて本当にごめんなさい。

僕は弱い人間です。だからなかなか打ち明けられずにいました。

ただ僕も、この記事を書いてよかった、勇気を振り絞ってよかった、と今後たくさんの場面で思えると、これ以上にない幸せなことだと思っています。

 

僕は今、元気です。

病気はあるけどうまく付き合っているつもりだし、何よりこうやって発信する精神的な元気さみたいなものが今の僕にはあります。

だから次会った時は、いつもと変わらぬ笑顔で、明るく声をかけてもらえると僕はきっと喜ぶと思います。ひとつよしなに(笑)

 

書きながら「ありがとう、ありがとう、、」と号泣(笑)

あー、スッキリした!!!

 

5月10日、今日という日が僕の人生の大きなターニングポイントになるんじゃないかと、今思います。

僕は来る未来が、今楽しみで仕方ないのです。

 

 

 

おわり

 

 

 

 

 

鯉のぼり

5月5日。こどもの日。

国民の祝日の中でもかなりの認知度を持つであろうこの日。

ひっそりとGWの中にたたずむこの祝日について、あなたは考えたことがあるだろうか。

 

祝日法2条によれば、

こどもの人格を重んじ、こどもの幸福をはかること

がこの祝日の趣旨であるらしい。

 

僕は長年疑問に思っていた。

 

大人(親含め)がこどもの人格を重んじたり、こどもの幸福をはかることなんて当たり前じゃん。あえて祝日にする必要があるか?言っちゃえば毎日がこどもの日であるべきなんだよ

 

なんともまあ生意気なクソガキの意見である。

この祝日のおかげで連休が頂けているというのになんという言いぶり。

こどもの日に謝れ!!親にも謝れ!!なんて野次が頭の中に響き渡る。

野次の主に僕は声を大にして言う。「うるせえ!」

 

僕は今まで、親や大人からこどもの日に盛大に何かをやってもらったことはない気がする。

 

別に特別な日という認識はないのだ。

 

ただ僕はそれに対してなんの不満もないし、〇〇をして欲しいなんていう厚かましい欲望を抱いたこともない。

 

 

水中で初めて酸素のありがたさに気付くように、本当の意味での親のありがたさに気付くことができたのは、親元を離れてからだったかもしれない。

 

親元を離れ、一人になって、様々なことを自分でこなしていかなくてはならない状況になった時僕は親が、周りの大人が、今までどれだけ自分に愛を注いでくれていたのか痛いぐらい感じた。

 

周りの大人たちは僕が一人になっても、独りにはしなかった。

 

どれだけ辛いことがあっても、寄り添ってくれる大人が僕の周りにはいた。

 

そういう意味では、本当に毎日がこどもの日だったのかもしれない。

 

そんなことを考えながら、23歳のこどもの日は東京で一人で過ごした。

 

東京の空は狭い。

ビルが、電線が、空を埋めている。

そんな空を眺めて、もう五年目の東京だ。

 

狭い空を気持ちよさそうに泳ぐ鯉のぼりを見つめる。

僕が故郷で見た広い広い空でなくても、この東京の狭い空でも、鯉のぼりは気持ちよさそうに泳いでいる。

 

そんな鯉のぼりが僕は少しだけうらやましかったし、お前ものびのびやれよ。って言ってくれているような気がした。

 

 

5月5日はこどもの日。

 

 

これからは、たくさんの愛をくれた大人に感謝する日にしよう。

 

 

そう考えると、東京の空が、少し広くなった気がした。