父にもらった大切なもの

「大きな木には大きな根がある」

 

小学校のソフトボールチームを卒部する際に、記念品として父兄から贈られたボールには父の字で大きくそう書かれていた。

 

当時の僕はこの言葉の意味をあまり考えなかった。ただ、記念品をもらったということで満たされていたのだ。

 

よく意味を考えず、ただ贈呈品として受け取った。

12歳の息子は、父の言葉をよく噛まずに飲み込んだのだ。

 

 

先日実家に帰った。

僕がこの実家を離れてもう5年が経つ。

主をなくした僕の部屋は、僕が日常を過ごしていた頃に比べて少し寂しそうだ。

部屋の隅にちょこんと置いてあった卒部の記念品に目をやる。

そこで目にしたのが、冒頭に書いた父の言葉である。

 

 

僕は父のことを生きるのが上手い人だとずっと思っている。

僕ができないことを飄々と淡々とこなしていくのだ。

 

嫌なことにも向き合い、悩みの芽を摘む。

問題が大きくなる前に対処する。

 

それは家族の悩みでも同じで、僕が悩んだり、辛い思いをしている時、ヒントとなるような言葉をそっと投げかけてくれる。

 

僕にとって父は、大きな木だ。

そして、その大きな木には大きな根が強く張っていることも知っている。

 

色々なことを経験し、色んな苦労を知る父は、50年余の人生で上へ上へと幹を伸ばすのと同時に、深く強い根を地面に張ったのだろう。

 

そんな父の姿はいつも僕の憧れで、こんな父親になりたいといつしか思うようになった。

 

 

 

深い人間になりたい。

 

とは思うが、きっとなろうとしてなれるものではないのだとも思う。

 

父によく言われてきた、「目の前の問題から逃げずに向き合いなさい」ということは僕が1番大切にしなければならないことだ。

 

そしてそうやって目の前の課題を丁寧にひとつひとつこなしていくことこそが、大きな根を張るということなのではないかと、僕は今考えている。

 

父の影響を受けて育ってきた僕。

父の好きなものはいつしか、僕の好きなものになった。

 

バイク、釣り、アウトドア、地理、珈琲。

 

あとやめたけど煙草(笑)

 

言い出したらキリがないぐらい、父の影響を受けてきた。

 

受け継がれたもの、そのすべてに父の面影を重ね、父を思い出してしまう。

 

海を見ると父と釣りに行ったことを思い出し、街中を走るバイクを見ると「父さんが欲しいって言ってたやつだ!」なんて思ってしまう。

 

父さんが僕の父でよかった。

これは心のずっとずっと深いところにある揺るがぬ思いだ。

 

「大きな木には大きな根がある」

 

この言葉を僕に贈った父の気持ちは厳密に言えば父にしか分からないことなのかもしれない。

 

だけど、23歳になった僕はこの言葉を噛まずに飲み込んだりはしない。

 

よく噛んで、噛んで、噛み砕いて、今はまだその途中だ。これからもこの言葉をしっかり味わっていくつもりだ。

 

飲み込むのがいつになるかはわからないが、僕は死ぬまでこの言葉と共に生きていく。

 

大きな根を持つ、大きな木に、僕はなりたい。

僕の自慢の、父さんのような大きな木に。

 

そしていつか、父さんのような父親になりたいと考えていて、

 

そうしたら子供には同じようにこの言葉を贈ってやりたいとも、今思っている。

 

父さんが僕にくれたものを、同じように受け継いでいきたい。

 

きっとそうやって、人って死ぬまで、いや死んでからもずっと生き続けるものだから。

 

だから父さんにもらったすべてのもの、大切に大切に生きていこう。

 

 

父さん、いつもありがとう。

息子は元気です。

いくら偉大な父親であれど、上手くいかないこと、落ち込むこと、あると思います。

でもそんな時は、強がらないで、時には弱い姿見せてもいいからね。

たくさんもらってきた分、少しずつ恩返しさせてください。

これからもどうかお元気で。

 

 

おしまい