人生の分岐点

かなりの回り道をしている人生だと思う。

 

就職も周りより遅いし、孤独に感じることも多々ある。

 

ただ、2018年という年は僕にとって大きな一年になると思う。

 

孤独と劣等感と戦いながらも、やりたいことを全うした一年だった。

 

書くことの楽しさに出会い、美しいものに触れ、自分という人間が好きな物事にたくさん気付けたような気がする。

 

軸と言ったら大袈裟なのかもしれないが、何か芯のない自分が、「僕はこういう人間です」と言うことが出来るようになった。

 

それは考える時間がたくさんあったのも理由の一つだが、周りの素敵な人たちとのふれあいがもたらしてくれたものだと感じている。

 

特に5月にこのブログで病気のことを書いて以来、読んでくれた周りの人たちと、なにか素というか、本音でふれあうことが出来るようになった。

 

地元の友達、大学の友達、恋人、家族。

本当に素敵な人ばかりで、みんなの顔が浮かぶ。

浮かんでくるみんなの顔はもれなく優しい笑顔で、その人たちが僕にもたらしてくれる幸せが今の僕を作っているんだと思う。

 

本音で病気のことを話した相手は、本音で色んな話を僕に打ち明けてくれるようになった。

 

人と本音で話すことでこんなに心は軽くなるのかと、感動したのを覚えている。

 

今まで1人で抱え込んでいたものを、周りの人たちが一緒に持ってくれるというか、なんだか肩の荷が降りたような、そんな気分だ。

 

本当に周りを見渡せば、いい奴ばっかりだ。

 

「自分は自分が創るものだ」という考え方から、「周りの環境こそが自分を創る」という考え方に変わった。

 

それくらい僕の周りは優しい世界だ。

 

優しくて幸せな世界だ。

 

今後なにか嫌なことや、試練が訪れたとしても、それは「長い幸せの線」の中の「一点」でしかない。

長い目で見ればそれは全部長い幸せの中の一点で起こることであって、引きで見れば幸せなんだと思う。

そんな風に考えるようになった。

 

というか、そう考えることが僕にとっての「幸せ」なのかもしれない笑

 

これからも、孤独と戦わなければならない時はたくさん訪れるに違いない。

そんな時は、自分を支えてくれている人たちのことを思い出しながら乗り切っていこうと思う。

 

大好きな人たちと、人生に色を付けて行くんだ。

色のない、モノクロだった人生に彩りを。

 

僕の人生に幸あれ。

 

なんやそれ。

 

良いお年を!

 

 

おしまい。

 

 

 

 

 

 

僕を支配しているもの

生きていく上で自分の行動を左右しているものは、意外と一つの大きな観念であったりする。

 

観念、それはテーマとでも言おうか、それに基づいて自分は行動をしているような気がする。

 

己の欲せざる所、人に施すことなかれ

 

これは孔子の有名な言葉である。

 

自分のして欲しくないことは、人にするべきではない。

 

僕はこの言葉の通り、自分のして欲しくないことは人には決してしないようにしている。

 

人の気持ち、特に負の感情には人一倍敏感に生きてきたという自覚がある。

 

でもまあ簡単に言えば「嫌われたくない」という誰にでもあるような考えからかもしれない。

 

でもそれは、僕の人生の大部分を支配している考えであり、この言葉の通り、生きてきたつもりだ。

 

「支配されている」と言うと悪いイメージがあるかもしれないが、これは必ずしも僕の人生を制限したり、しがらみになっている訳では無い。

 

この生き方をする上で大切になってくるのが、「相手の気持ちを考える」という行為である。

 

僕は人の気持ちに敏感で、その人が今何を考えているのか、そして何を求めているのか、そんなことばかり考えている。

 

自分がされて嫌なことを人にしない。

 

これは案外簡単なことである。

基本的に万人が不快に感じることを避ければ、その人を嫌な気持ちにさせることはまずない。

 

適度な距離を取り、適切なコミュニケーションをとっておけば、マイナスのイメージからはいくらでも逃げられるのだ。

 

問題はここからだ。

されて嫌なことはわかりやすい。

難しいのは「されて嬉しい」こと。

 

自分がされて嬉しいことが、人にとってもそうであるか、これを考える時に僕の頭によく浮かぶひとつの言葉がある。

 

「余計なお世話」

 

この言葉が本当に鬱陶しい。

自分はされて嬉しいけど、この人にとってはどうなのか?果たしてその人にとってもやるべき事なのか。そんなことをずっと考えてしまう。

もしかして僕がこの人にやろうとしているのは余計なお世話なのではないか、そんな一抹の不安が、施しに待ったをかけるのだ。

 

僕にとっての当たり前が、他人にとっての当たり前ではない。

人はみんな違う人間であり、考え方も十人十色である。

 

誰かと意見が違った時によく耳にする言葉で、

「普通に考えればわかるじゃん」というものがあるが、僕は決してこれを言わないようにしている。

 

自分にとっての普通が誰にでも当てはまるものではないことを知っているから。

そしてその当たり前を押し付けることが、その人にとってどれだけ重いものとなるかを考えているからである。

 

それは家族であっても同じだ。

長く連れ添った家族であると、「当たり前」が共有されている点は多々ある。

それが家族の中での常識であり、行動のパターンとなる。

もちろん悪いことではない。

 

しかし家族も言ってしまえば別の人間。

価値観の違いだってもちろんある。

だから、僕は家族に対しても自分の意見を言いたいし、相手の常識と自分の常識をすり合わせる過程を大切にしているつもりだ。

 

自分の常識を世界の常識だと思わないこと。これを大切にするが故に、僕は人に「されて嬉しいこと」を施すことに戸惑っているのかもしれない。

 

やらない善よりやる偽善

 

そんな言葉もあるが、やはり僕は善を施したい。

難しいことだ。

何より大切なことは相手の気持ちを考えること。そして施す善に自己満足をしないことかもしれない。

 

これからも人の気持ちには、人一倍敏感でありたいし、自分の当たり前を押し付けるような人間にはなりたくない。

 

そんなの言わなくても当然のことだけど、簡単に出来るのならこんな文章にはしていない。

 

よく考え、結果的には幸せでありたい。

自分も、周りの人も。

 

色んな人の心からの笑顔を、僕は見てみたいのだ。

 

 

 

おわり

 

 

 

 

流れる、こぼれる、溢れる、にじむ

 

涙は色んなあらわれ方をする。

 

僕は今まで、人前で涙を流すことを極力避けてきた。

 

恥ずかしいし、自分には涙が似合わないと思っていたから。

 

どうしようもなく悔しかったり、どうしようもなく嬉しかったり、そんな時に今までの僕はどうしていいのかわからず、感情をうまく処理できずにいた。

 

ただ、この上なく感情がたかぶった時、言葉より先に涙が出てくることがある。

 

涙が出てからその涙の理由を考えるのだ。

 

「そうか、泣けばいいんだ。」

 

嬉しすぎて涙が溢れたとき、それに気付いた。

 

涙は心を浄化する。

悔しさも、嬉しさも、切なさも、悲しみも。

それまでモヤモヤと煙のように掴めなかった感情は、涙を流すことでスッと心に落とし込めるようになる。

 

心を浄化するってきっとそういうことだと思う。

 

言葉に言い表せない感情のたかぶりを、涙は処理してくれる。

 

涙を流すという行為は、決して恥ずかしいものではないな、今ではそう思う。

 

どうして泣いているんだろう。

 

そんなことを思う時もあるけど、そんなの後で考えればいい。

今はただ、思い切り泣けばいい。

そう思うことも増えた。

 

 

ある人が泣いていた。6月の夜だ。

複雑に入り組んだ感情がうるうると溜まっていき、やがてそれは大粒の涙となってポロポロとこぼれた。

頬を伝うのではなく、ポロポロと下に落ちるのだ。

泣いている人を見ているのにこんなことを思うのはいけないことなのかな、そんな風に感じて口には出さなかったけれど、綺麗だった。

綺麗な涙だった。

 

今は言葉なんていらない時か。

 

そう感じた僕は、黙ってこぼれる涙をハンカチで拭った。

 

本音を言えば、なんて声を掛けてあげようか、涙を拭く時間で考えていたのだけれど。

 

 

 

いつでも涙を流せるように、そして、あなたの涙を拭ってあげられるように、綺麗なハンカチを持って、今日も出掛けよう。

 

夏のはじまりに思うことでした。

 

 

おしまい

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

父にもらった大切なもの

「大きな木には大きな根がある」

 

小学校のソフトボールチームを卒部する際に、記念品として父兄から贈られたボールには父の字で大きくそう書かれていた。

 

当時の僕はこの言葉の意味をあまり考えなかった。ただ、記念品をもらったということで満たされていたのだ。

 

よく意味を考えず、ただ贈呈品として受け取った。

12歳の息子は、父の言葉をよく噛まずに飲み込んだのだ。

 

 

先日実家に帰った。

僕がこの実家を離れてもう5年が経つ。

主をなくした僕の部屋は、僕が日常を過ごしていた頃に比べて少し寂しそうだ。

部屋の隅にちょこんと置いてあった卒部の記念品に目をやる。

そこで目にしたのが、冒頭に書いた父の言葉である。

 

 

僕は父のことを生きるのが上手い人だとずっと思っている。

僕ができないことを飄々と淡々とこなしていくのだ。

 

嫌なことにも向き合い、悩みの芽を摘む。

問題が大きくなる前に対処する。

 

それは家族の悩みでも同じで、僕が悩んだり、辛い思いをしている時、ヒントとなるような言葉をそっと投げかけてくれる。

 

僕にとって父は、大きな木だ。

そして、その大きな木には大きな根が強く張っていることも知っている。

 

色々なことを経験し、色んな苦労を知る父は、50年余の人生で上へ上へと幹を伸ばすのと同時に、深く強い根を地面に張ったのだろう。

 

そんな父の姿はいつも僕の憧れで、こんな父親になりたいといつしか思うようになった。

 

 

 

深い人間になりたい。

 

とは思うが、きっとなろうとしてなれるものではないのだとも思う。

 

父によく言われてきた、「目の前の問題から逃げずに向き合いなさい」ということは僕が1番大切にしなければならないことだ。

 

そしてそうやって目の前の課題を丁寧にひとつひとつこなしていくことこそが、大きな根を張るということなのではないかと、僕は今考えている。

 

父の影響を受けて育ってきた僕。

父の好きなものはいつしか、僕の好きなものになった。

 

バイク、釣り、アウトドア、地理、珈琲。

 

あとやめたけど煙草(笑)

 

言い出したらキリがないぐらい、父の影響を受けてきた。

 

受け継がれたもの、そのすべてに父の面影を重ね、父を思い出してしまう。

 

海を見ると父と釣りに行ったことを思い出し、街中を走るバイクを見ると「父さんが欲しいって言ってたやつだ!」なんて思ってしまう。

 

父さんが僕の父でよかった。

これは心のずっとずっと深いところにある揺るがぬ思いだ。

 

「大きな木には大きな根がある」

 

この言葉を僕に贈った父の気持ちは厳密に言えば父にしか分からないことなのかもしれない。

 

だけど、23歳になった僕はこの言葉を噛まずに飲み込んだりはしない。

 

よく噛んで、噛んで、噛み砕いて、今はまだその途中だ。これからもこの言葉をしっかり味わっていくつもりだ。

 

飲み込むのがいつになるかはわからないが、僕は死ぬまでこの言葉と共に生きていく。

 

大きな根を持つ、大きな木に、僕はなりたい。

僕の自慢の、父さんのような大きな木に。

 

そしていつか、父さんのような父親になりたいと考えていて、

 

そうしたら子供には同じようにこの言葉を贈ってやりたいとも、今思っている。

 

父さんが僕にくれたものを、同じように受け継いでいきたい。

 

きっとそうやって、人って死ぬまで、いや死んでからもずっと生き続けるものだから。

 

だから父さんにもらったすべてのもの、大切に大切に生きていこう。

 

 

父さん、いつもありがとう。

息子は元気です。

いくら偉大な父親であれど、上手くいかないこと、落ち込むこと、あると思います。

でもそんな時は、強がらないで、時には弱い姿見せてもいいからね。

たくさんもらってきた分、少しずつ恩返しさせてください。

これからもどうかお元気で。

 

 

おしまい

 

 

 

きれいなシャツを心に纏え

5月28日月曜日、昨日の話だ。

 

二週間後に迫る試験に向け、テキストの内容を頭に叩き込んでいた。

 

集中力が長持ちする方ではない。

 

「よし」と呟き、お勉強タイムに勝手に終止符を打った。

 

72分。

短い。驚異の集中力。

 

以前東京から岡山に帰る際に新幹線で勉強をしようと思ったが、新横浜に着く頃にはやめていたことがある。

僕はそういう人間だ。

 

気分転換に散歩でもするか(気分転換するほど勉強したわけではないが)と思い、家を出た。

 

あてもなくフラフラと歩いていたら沖縄料理屋の前に着いた。

 

迂闊だった。

皆さんご存知ないとは思うが僕は時々猛烈な「沖縄料理欲求」に掻き立てられる。

その欲求は「沖縄料理を食べたい」なんてものではない。

もはや「沖縄を身体に染み込ませたい」「沖縄になりたい」

そういった境地まで来てしまっているのだ。

 

沖縄料理屋の前を通りがかった時、

「ああ、ゴーヤチャンプルーを自分の細胞に取り込みたい」

そう思ってしまった。もはや変態。我ながらキモい。

 

 

金曜日に会う約束をしているあの人に連絡をする。

 

「ねえ沖縄料理食べれる?」

 

割とすぐ返事が来た。

 

「ゴーヤチャンプル―だいすき、バケツくらい食べよう」

 

 

甘いな。今の僕はもはや沖縄料理の権化。

 

 

業務用ポリバケツの画像を添付して「バケツってこれよね?」って送ったらちょっと引かれた。

 

ちょっと引かれはしたけど、金曜日は沖縄料理を食べに行くことになったし、自分の好きなものをあの人も好きだと言っていたのがなんだか嬉しくて、ご機嫌で歩いた。

 

 

 

 

 

 

ペチャッ。

 

 

「?」

 

 

突然のことに僕は一瞬何が起こったのかわからなかったが、

みぞおちのあたりに何かがぶつかったこと、それが鳥のフンであったこと、運悪く僕のグレーのTシャツにその鳥のフンの色が映えてしまっていたこと、それらに気付いた時、思わずため息がこぼれた。

 

今まで鳥のフンが当たった人はたくさんいると思うが、みぞおちの位置に被弾した人ってなかなかいないと思う。

 

 

周囲の注目を一心に浴び、俯きながら歩いた。恥ずかしかった。

 

 

あの時の僕は、端から見たら確実に「鳥のフンを胸トラップした人」であった。

 

 

家までの道のりが、いつもより長く感じた。

 

 

早く、早く家に着け、心の中で全国津々浦々の天満宮、神宮をお参りした。

 

太宰府天満宮も、出雲大社も、伊勢神宮も。全部行った。

 

「早く家に着きますように。」

心の中なのでお賽銭は多めに入れた。

 

 

 

家に帰ってすぐシャツを脱ぎ、手洗いした。

 

 

 

胸の中心にべったりと付いた鳥のフンが、ちょっとだけ、ほんとにちょっとだけアーティスティックな模様にも見えたのがなんだか悔しくて、面白くて、小さく笑ってしまった。

 

 

数十分の散歩の間に、嬉しいこと、悔しいこと、様々なことを感じた。

 

 

生きていたらきっとこの先、この散歩みたいに色んなことが起こって、色んな感情と出会うんだろうなあ。

 

 

たとえ嫌なこと、辛いことがたくさん起こっても、このシャツみたいに洗って流していけたらいいなあ。

 

 

ゴシゴシと擦られて、落ちていく汚れをじっと眺める。

 

 

いつまでも、きれいなシャツと、きれいな心を身にまとっていたい。

 

 

そんなことを一人思った。

 

 

おわり

 

 

 

 

 

 

 

 

 

東京の月は逃げる

今日もお疲れさん。

 

月は僕に語りかけた。

 

 

午後11時30分、一日が終わりかけるその時刻。僕はバイトを終え、なんとなく空を見上げた。

 

西の低い位置にいた弓張り月は、白でもなく黄色でもない、山吹色とでも言おうか、そんな色であった。

 

綺麗、、、

 

乙女か!なんて思われるかもしれないが、そう思ってしまったのだから仕方がない。

 

とにかく綺麗な月だった。

 

 

 

半年ほど前、ある友達と冬の夜道を歩いていると、その友達はいきなりこう言った。

 

「今日月めっちゃ綺麗じゃん。」

 

空を見上げると白くて大きな満月。

とても綺麗な月だった。

何か僕たちを見守ってくれているような優しくて大きな月だった。

 

年に何度か、スーパームーンというものが見える日がある。

 

地球から見える月が非常に大きくなるその日。

実はその友達と見た月はスーパームーンであった。

 

あとから聞いたらその友達はその日がスーパームーンだということは知らなかったそうだ。

 

それ以来僕は、その友達のことを「何の事前情報もなしに月の綺麗さに気付ける人」として認識していて、そんな人に自分もなれたらいいな、なんてこっそり思っていた。

 

 

 

 

 

さて話は戻って昨日。

午後11時30分、バイト先のスーパーを出ると、西の低い空にたたずむ山吹色の月。

 

一日の疲れを癒すような綺麗な月に、思わずため息を漏らす。

 

そして、誰かに教えてあげたくなった。

 

僕には大切な人がいる。

嬉しいことも辛いことも、一緒に共有したい、そんな風に思わせてくれるとても素敵な人だ。

 

気付いたら送信していた。

 

「月、見て。すごい綺麗だから。」

 

すぐ返信がきた。

 

「わかった!探す!」

 

なんと愛しい返信。

そして平安時代の文通みたいなやりとり。

 

「絵本の月みたいだね。綺麗。」

 

その人は言った。

 

 

こんなこと言ったら理系の人にはかなりバカにされそうだけど、月って割と本気で離れてる人を繋ぐものだと思う。

 

 

「離れてる人が一緒に綺麗だねって思うためにあるんだね月って。」

 

 

今考えると身の毛もよだつような恥ずかしいことを、ついその人には言ってしまった。

 

普段は恥ずかしいようなことも、なんとなく素直に言ってしまう、僕を素直にしてくれる人だ。

口座番号だけは言わないようにと、いつも自分に言い聞かせているぐらいに。

 

 

まあいい、とにかく誰かに教えたくなるような月が見られたこと、そしてそれを教えてあげる人がいること、そしてその人も同じ月を見て、綺麗だねって思ってくれたこと、僕はそれがとても幸せだった。

 

家に帰る頃には東京の高いビルの陰に消えてしまっていた愛しい月。

家に帰る前にちゃんと写真におさめようと思ったのに、ヤツの姿はどこにも見当たらなかった。

なんだか逃げられた気分だ。

 

東京の月は、逃げるんだなあ。

でもいずれまた、忘れた頃に僕を癒してくれ。

 

 

そんなことを思いながら、ポケットの鍵を探した。

 

その頃にはもう、日付は変わっていた。

 

 

心を動かす月に、また出会えますように。

 

 

おわり

 

 

 

 

 

 

 

 

あなたのもとに生まれて

 

23年前の春、僕は産声をあげた。

正午を過ぎてからやっとお腹から出てきた僕。

今でも僕が昼過ぎまで寝てたら時々母は

 

「まああんたは生まれる時も昼過ぎるまでなかなか出てこなかったからね。」

 

なんて冗談を言う。

 

生まれて23年、色んな母を見てきた。

きっと僕の父から見た母、僕の妹から見た母、それぞれあると思うけど、僕から見た母は僕しか知らない。

 

朝7時には仕事に出て行った母

 

でも家族の弁当はちゃんと作ってから家を出てた母

 

その弁当の袋に「今日も頑張れ」なんてちっちゃな手紙を添えてくれてた母

 

家に帰ってからも、赤ペンで採点をしていた母

 

休みの日はよく寝る母

 

犬アレルギーなのに、誰よりも早く起きて愛犬に餌をやる母

 

お出かけするといつもハンカチを落とす母

 

よくシャツを前後ろ逆に着る母

 

シャツを表裏逆に着たりもする母

 

忙しいのに仕事を切り上げて、少し遅れて参観日に来てくれた母

 

親子ソフトボール大会で打球を食らって周りに心配される母

 

「守ってた位置が良すぎたのね」なんて冗談を言って周りに気を使わせないようにしてた母

 

 

 

この格好変じゃない?って何度も何度も確認してくる母

 

変じゃないよって言うと嬉しそうにする母

 

喧嘩してもちょっと経ったら「さっきはごめん」って言ってくる母

 

あんたの作ったお味噌汁の方が美味しいねってなんだか自信なくしてた母

 

母さんの味に似てると思うけどなって言ったら少し嬉しそうにした母

 

僕が嬉しいとき、一緒に喜んでくれた母

 

僕が辛いとき、一緒に泣いてくれた母

 

時々「母さんほんとダメだね」ってヘコむ母

 

どんな母もたった一人の僕の母で、息子はそんな母のことがとても大切です。

 

親だけは選べない、なんて言葉があるけど、僕は母さんのもとに生まれてこれて本当に幸せです。

 

普段はこんなこと、絶対言えないけど

 

今日はなんだか素直になれた。

 

母さんいつもありがとう。

息子は感謝しています。

 

あなたのもとに生まれて、本当によかった。

 

 

おわり