あっちいけよ、コロナ

 

 

いつの日からか

 

土曜日と日曜日は悪者になっていて

 

人で賑わう街の姿や

 

観光地で食べるソフトクリームの味を

 

思い出せなくなってきている

 

非日常なはずのこんな毎日が

 

少しずつ日常になりつつあるのが

 

寂しくて、少し怖い

 

 

「コロナが収まったら会おう」

 

 

なんて言い始めてもう1年以上経つ

 

 

そんな日来んのかよと投げやりになる日もあり

 

行きたい場所が増えていく毎日に嫌気すら感じる

 

 

ただいつの日か

 

また土曜日や日曜日が悪者扱いされない日々が戻ってくるのなら

 

その時は「お疲れ様」と互いに労える人と

 

やっと来れて良かったと思える場所を

 

今から思い描くのも悪くはない

 

会えない時を、動けない時間を

 

どう使うかは自分次第

 

僕は書き続けたい

 

日々思うことを

 

自分の内面を

 

いつだって苦しい時は

 

書くことで楽になってきた気がする

 

もしかしたら読み手を意識しない排他的で自己中心的な文章かもしれない

 

でもこうしてただ自分の内側を

 

思いつくままに書くことで

 

少し気は楽になる

 

自分と向き合い、表現することで

 

閉鎖的なこの時間を

 

上手く使えたらと思う

 

おうち時間でパワーアップ!

 

なんて考えられる人はほんのひと握りだと思っている

 

僕には無理です

 

僕はやっぱり土曜日も日曜日も外に行きたいし

 

人と会いたい

 

またいつかのように人と会って笑ったり

 

好きな場所で一息ついたり

 

そんな日が戻ってくることを

 

ただただ待ち望んでいる

 

近くはないのかもしれない

 

そんな日はまだまだ先なのかもしれない

 

それでも

 

それでも僕はマスクを投げ捨てる日を

 

信じて待とうと思う

 

だからこそ、これからも僕は言い続けるんだろう

 

「コロナが収まったらまた会おう」と。

 

 

おしまい

 

 

 

 

 

 

 

ことあるごとに花を贈ってきた

 

 

 

あなたの彼氏になって今日で3年

 

彼氏って響きは3年経ってもずっと恥ずかしいけど

 

それでも隣に居たいから

 

2人の節目節目のタイミングで

 

花を贈ってきた

 

3年も一緒に居ると

 

だんだん「好きそう」な花もわかってきて

 

選んでる時点で喜んでる顔が想像できたりする

 

今日なんてすごく気に入ってくれて

 

贈った花束に「かわいねぇ♡」と話しかけていた

 

そんなところを好きになった3年前

 

好きで居続けた3年間

 

これからもずっと大切にしていこう

 

 

顔を真っ赤っかにしながら

 

駄文をしたためました

 

夜風にあの日の夜を思い出す

 

2021年5月11日の夜です

 

 

おわり

普段歩かない道で

実家の近くを歩いていると

 

道端に咲く花を見つけた

 

マムっぽい白と黄色の小さな花が

 

100本近くまとまって、花束のように咲いていた

 

あとから調べたらノースポールというらしい

 

 

ふと歩いたその場所に

 

咲いていた小さな花

 

アスファルトから生えていたその花が

 

誰かに育てられたものなのか

 

それとも自力で咲いた花なのか

 

知りようはないのだけれど

 

心がポッと明るくなった

 

ここを歩かなければ出会うことは出来なかった花に

 

僕は元気をもらった

 

自分の知らないところで

 

健気に咲く花は

 

きっとまだたくさんあって

 

出会う前に枯れてしまうこともあるかもしれない

 

色んなところを歩くことで

 

そういう出会いが出来るのかもしれない

 

知らないところで咲いている花に

 

たくさん出会いたいと思う

 

咲いている「やつら」を

 

僕は見つけに行きたい

 

やっぱり花っていいよなあ

 

こうやって人の心を動かしたり

 

元気を与えたりできる

 

自分の場所で、堂々と咲ける

 

誰かが見てるか見てないかなんて関係なく

 

ただひたすらに頑張れる

 

そんな人に

 

僕もなりたい

 

今年の目標は、

 

お花のような人間になる

 

です(改めて)

 

 

 

おしまい

 

 

共に戦っている仲間

社会人になって、自己紹介をする機会が増えた。

 

自分という人間を相手に簡潔に伝えるにはどうすればいいかなあなんて考えながら喋っている。

 

意外と中身は関係なくて、話し方や動作にその人の人柄は出ると思っていて、どうやら僕は落ち着いている印象を与えているようだ。

 

社会人になってよく思うことは、たくさんの大人がそれぞれが持つ力を結集して、社会が成り立っていること。

 

今までは「さえない人だなあ」とか「この人愛想悪いなあ」とか、そんな大人をたくさん見てきたけど、実際はそんな人でも社会の中に自分の居場所を持っていて、毎日戦ってるんだなあと思っている。

 

会社ってすごい。

たくさん人がいて、まだ全員の顔と名前が一致してるわけでもないのに、すごく感動している。

 

だって、みんな同じ方向を向いて一緒に戦っているから。

 

入社したての頃は、毎日緊張してたけど、そうやって周囲の人たちが同じ方向を向いて戦っているということが分かっただけで、心が急に軽くなった。

 

話は戻って自己紹介の話。

その人のバックグラウンドを知ることで、急に安心する。

この人はこういう生い立ちで、こんな趣味があって、みたいな情報も、どれだけ出来る人でもちゃんと人間なんだってよく思う。

 

それって結局、警戒心を解いてくれるってことで、仮にその人にすごく怒られたとしても「まあこの人も人間だしな」と思える。

 

同じ方向向いてる人に怒られることって実際何も怖くないとも思う。

その人はさらに前に行くために背中を押してくれてるようなものじゃないか。

 

まあ別に怒られたくはないし、怒られないように頑張るけどね。

 

でも、「怒られないこと」をゴールにはしたくない。

怒られないようにやった仕事って限界点みたいなものがある気がして。

無限の彼方へ行きたいのよこっちは。(バズか)

 

忘れちゃいけないことは、自分は人間と仕事をしていること。

自分を成長させてくれようとしている人を自分から遠ざけてしまうことってもったいないと思う。

 

余計な警戒心なんて捨ててしまおう。

みんなここで戦う仲間だ。

一緒に頑張ろうじゃないか。

 

そんな風に、日々感じております。

こんな風に、感じさせてくれる人たちに囲まれて、僕はなんて幸せなんだろうと。

 

休日の朝から、少し書いてしまいました。

 

おわり

 

 

 

 

少し強くなったのかな?

2020年の振り返り。

 

世界ではコロナが流行ったり、たくさんの著名人が亡くなったりしたけれど、そんなことは関係なく、自分の周りで起こったり自分が感じたことを書こう。

 

就活を終えることが出来た。

第一志望には派手に落ちてしまったけれど、結果的にはよかったと思っている。

入ってしまえば第一志望とかは関係なくて、前向きにやるしかないと、今とても入社を楽しみにしている。

僕が何年待ったか。

就職したい。

早く社会人になりたい。

何度思ったことか。

 

 

「なんで留年したの?」

 

そんな容赦のない質問にも何度も答えてきた。

でも就活を進めるうちに気付いたことは

「面接官は留年した理由を知りたいのではなく、そこから何を学び、どう活かしたかということ。」

 

僕の人生にケチをつける資格は誰にもない。

 

ただ、失敗から何も学びがないのは、あまりにも救いようがない。

 

そう考えられるようになってから、僕は強くなったのかもしれない。

 

大学7年生なんてめったにいないけど、そこでした悔しい思いは誰にも負けない自信があるし、出会った人の優しさには、誰よりも助けられた自信がある。

 

だから就活でも、全く嘘をつかず、病気のこと、留年のこと、通信制に転籍したこと、たくさん、自信を持って話した。

 

そこには一つの曇りもなく、心が落ち込むようなこともなかった。

 

「ありのままの自分を出して取ってくれるところが最高の就職先やで。」

 

2年前に友人からもらった言葉は、今年何度も僕を救ってくれたし、その言葉をずっと信じてやってきた。

 

そして、第一志望ではないけれど、内定をもらうことができた。

 

何も隠さないありのままの自分を受け入れてくれる人たちに出会うことができた。

 

こんなに幸せなことはない。

 

上手くいくことばっかりじゃないのは、よくわかっているつもりだ。

 

俺の人生(特に18歳以降)は、ほんとに上手くいかないことの方が多い。

 

絡まったイヤホンを解く時間みたいなムズムズする時間をずっと過ごしている気がする。

 

でもそのおかげで、我慢強くもなったし、投げ出さずにやり抜く力が、少しずつついてきたのかな。

 

上手くいくことばっかりじゃないことを知っているからこそ、上手くいったときの幸せは大きい。ゾウガメの約4倍ぐらい大きい。

 

ちょっとふざけたけど(みんなごめん)

来年はとうとう社会人デビューする予定です。

今までとは違った世界を、やっとやっと見に行ける。

 

でも社会人てものすごい辛いんでしょ?

ものすごい苦しいんでしょ?

 

7年間の経験から得たものを、そんなときに最大限に発揮してやろうと、今思っている。

 

手ぶらで卒業するわけじゃないぞ。

7年分の大荷物、引っさげて4月から船出です。

 

2020年の終わりに、思うことです。

 

2021年は、もう目標が決まっていて

 

「お花のような人間になること」です。

 

そこにいるだけで周りをあたたかい気持ちにできるような、そんな人になりたいです。

強くしなやかに。(メガネフレームの宣伝か)

 

2020年、お世話になった方々、本当にありがとうございました。

コロナが終わったら、みんなに会いたいな。

2021年が、みなさんにとって素晴らしい年になることを心より願います。

 

多分一青窈さんは、2021年も「君と好きな人が100年続きますように」と願っていると思います。

 

んじゃ!

また来年!

 

 

 

 

 

 

 

小さな傷

冷たい風が吹いて

 

手は冷たいというよりも

 

痛いと感じるようになり

 

家に着くとお湯で手を洗う

 

血が沸騰するように

 

指先へ流れていくのがわかる

 

ジクッという尖った刺激が

 

左手人差し指第二関節を襲い

 

ああ、また指切ってたんだと

 

今さら気付く

 

所詮そんなもんだ

 

指の切り傷なんて

 

お湯がかかるまで気が付かない

 

けれどそんな痛みにも

 

僕は敏感でありたい

 

自分の傷、周囲の人の傷

 

その傷は目に見える時も

 

目に見えない心の中にできる時もある

 

傷の大小は関係なくって

 

自分の傷にも

 

他人の傷にも

 

すぐに気が付いて

 

そっと処置できたなら

 

どれだけいいだろう

 

今日お湯がかかって初めて気が付いたような

 

小さな傷は

 

誰にでもあって

 

そんなに痛くもないのかもしれない

 

だけど

 

どんな傷にでも

 

そっと寄り添って

 

少しでも早く

 

良くなればいいのにと

 

一緒に思いたい

 

そんなふうに考えながら

 

左手人差し指に

 

絆創膏を巻いた

 

人にやさしく、自分にもやさしく

 

これは僕の

 

人生のテーマなのです

 

 

 

 

十数枚の服を捨てて

季節が変わるたびに

 

洋服たんすを掻き回しては

 

ああ、こんな服あったなあと感心している気がする。

 

もう着ないのであれば

 

捨てればいい服たちが

 

いくつもの季節を越えてきた。

 

この度、十数枚の服たちを

 

資源ごみとして捨てた。

 

中には

 

東京で買った思い出のコート

 

それお洒落だねと女の子に褒めてもらったシャツ

 

居酒屋でハイボールをこぼしたスラックス

 

何処に行くのにもとりあえず羽織っていたブルゾン

 

 

何で今まで捨てられなかったのか

 

その服たちとの思い出が

 

捨てるに踏み切らせなかったのだと思う。

 

一枚一枚に、忘れられない思い出があり

 

あんな所にも行ったなあ

 

こんな人と会ったなあ

 

そんなことまで考えてしまう。

 

ありがとうを込めて、丁寧に畳んで袋に詰める

 

物を減らそうとする時、愛着あるものとの別れが必ずついてくる

 

服をたくさん買ったのは

 

自分の内面に自信がなかったからなのかもしれない

 

着飾って

 

お洒落だと思われたくて

 

必ずしも必要でない服も

 

たくさん買っていた気がする

 

服を捨てることによって気付けた、自分の内面の変化

 

今はシンプルで

 

着心地のよいものを

 

長く、綺麗に着続けたい

 

数は多くなくていい

 

身体にあったサイズのものを

 

シワなく清潔に着られればいい

 

そんな風に考えるようになった

 

思い出の詰まったものを

 

捨ててしまったとしても

 

思い出はきっと心にのこり続けるから

 

思い切って捨てる勇気も

 

これからは大切にしよう

 

 

もちろん、お別れの前の

 

最後のありがとうを

 

僕は忘れずに言うよ