また会ったな、東京。

2月20日夜11時、東京に向け車で岡山を出発。

 

今は新幹線で東京までは3時間半。

元々狭い日本は、交通の発達によりどんどん狭くなっている気がする。

 

休憩を挟みながらの11時間、東京って遠いなあと思うのは、車で向かう時くらいだ。

 

東京を離れて早1年、僕はこんなに遠いところで5年も暮らしたのかと思うと少し誇らしいような気分にもなったが、いや4年で帰ってこいよという家族や友達のツッコミが頭の中で炸裂してやっぱり申し訳なくなった。

 

僕が居なくなっても、問題なく営まれる街の人たちの生活。なんだか死後の世界を見ているような気分にさえなる。

 

やっぱり東京だなあと思ったのは、たった1年しか経っていないのに、あったはずの店が無くなっていたり、新しい店が立ち並んでいたりすること。

 

僕の知っている街は、僕の知らないところで少しずつ変わり、知らない街になっていく。

 

でもそんな変わりゆく街の中の、大好きだった喫茶店に入ると、あの頃と同じ匂いがして、同じ味のコーヒーを飲むことができて、少し安心した。

 

移りゆく街の中に、変わらずあり続けるもの、それに気付くことができた時、嬉しくて泣きそうになった。

 

駅の改札をふと見る。

思えばこの改札を抜ければ、何処へだって行けたなと懐かしく思う。

 

立ち止まって眺めていると、行き交う人たちに邪魔そうな目で見られ、ここが東京だということを思い出す。

 

そりゃあ懐かしい景色が変わらずそこにあり続ければ嬉しいけれど、1年でこれだけ変わるんだもんなあとしみじみ思った。

 

あの頃の記憶は、大切にしまっておこう。

これからも変わり続けるこの街に、時々来て、アップデートしなきゃな、なんて思いながらまた歩き始めた。

 

また会おう、この場所で。

気長に待っててね、俺向こうでも頑張るからさ😌

 

おしまい

 

 

ありがとう

 

1月4日、午前5時5分、祖母が旅立った。

 

訃報を受け、寝ぼけ眼をこすりながら、病院へと向かう。まだ外は暗く、何もなければ寝ていた時間。色んなことを思った。

 

僕が生まれた時、祖父はもう居なくて、それでも祖母は僕のことをたくさんたくさん可愛がってくれた。

 

ばあば。

物心ついた時からずっとそう呼んでいた。

ばあばとの思い出は、もちろんずっとずっと心の中に生き続けるけれども、それでもお葬式が終わったこのタイミングで、ここに記しておこうと思う。

 

ばあばにとって僕は初孫で、本当にたくさんの愛情を注いでくれた。

両親が共働きで、母の仕事が遅くなる時はばあばが保育園まで迎えに来てくれたし、その後家に帰ったら、ばあばが美味しいご飯を作ってくれた。

 

保育園で使う布団カバーやカバンを手作りしてくれたのもばあばだ。

 

年齢を重ねるにつれて、ばあばと会う機会は減っていった。

今思えば、ずっと一人暮らしをしていたばあばには、寂しい思いもさせたかもしれないね。

 

それでも毎年、お正月に会う時は、いつも以上に張り切ってご馳走を作ってくれたばあば。

 

もうお腹いっぱいなのに、次々と料理は運ばれてきて、「もう食べれないよ」なんてみんなで笑いながら、それでも美味しいから少しずつ食べちゃって。

 

ばあばとの思い出の中には、いつも手作りの美味しいご飯があるね。これは本当に幸せなことです。

 

偶然にもばあばと同じ大学の、同じ学部、同じ学科に入学した僕。

 

ばあばはそのことをとても喜んでくれたね。

身体を壊して、中々上手くいかない大学生活だけど、ばあばはいつも僕の心配をしてくれました。

 

東京にも1人で来てくれた2018年の5月。

西荻窪の商店街を手を繋いで歩いたね。

ばあばは杖をついてゆっくりゆっくり歩くから、たくさんの人に追い抜かされたね。

 

駅まで着いたら「歩くの遅くてごめんね。」なんて言うから僕は涙をこらえながら「会いに来てくれてありがとう」と伝えたね。

 

自分の身体より、僕の身体のことを心配してくれて、こんなに幸せなことはないです。

 

そんなばあばも、少しずつ弱っていって、正直言えば弱っていくばあばを見るのは結構辛かった。大好きな人だから、たくさん会いたいけれど、大好きだからこそ、弱っていく姿を見るのは結構しんどくて。

 

最初に病院にお見舞いに行った時、意識がないばあばを見て泣いてしまった。

あの時はごめんね。

人はみんな弱っていくのに、ばあばだけはずっと元気で居てくれるような気がしてたから、少し動揺してしまったんです。

 

それでも10月に入院して亡くなるまでの3ヶ月、何度も危ない状況になりながらも、その度に驚異的な復活を見せてくれたね。

 

11月に転院する時、僕の名前を何度も呼んでくれたね。振り絞るような細い声だったけれど、嬉しくて嬉しくてまた泣いたよ。

 

それからはお見舞いに行ってもほとんど意識はなくて、手を握ってあげることぐらいしか出来なかったけど、それでもばあばの手は毎日あったかくて、懸命に生きているんだなと強く感じた。

 

1月1日、おせち料理をお弁当箱に詰めて、病院に行った。

いつも通り、眠っているような状態だけど、もちろん食べさせてあげることはできないけれど、それでもばあばが大好きなおせち料理を見るだけでも、匂いを嗅ぐだけでも、させてあげられてよかった。

 

お別れは突然来るもので。

 

1月4日、朝6時前、ばあばが亡くなったと聞く。

 

覚悟はしていたので、その時は割と冷静だった。

 

着替えの際に最初に手に取った黄色の靴下は何だか非常識な気がして、黒いものに変えた。

 

いつもお見舞いに来る病院に着いたが、向かう先はいつもの病室とは違う霊安室だった。

 

ばあばは安らかな顔で眠っていた。

冷たい手で触れるとびっくりしてしまうかなと、お見舞いの時はいつも自分の手をあたためてから手を握っていたけれど、その必要はないのかと思うと、急に寂しくなって、切なくなって。

 

苦しかったね。

よく頑張ったね。

ありがとう。

頑張るね。

ゆっくり休んでね。

天国でじいじやお友達と楽しく過ごしてね。

美味しいご飯をお腹いっぱい食べてね。

 

伝えたい思いは次々と出てきて、たくさん話しかけたけれど、ちゃんと届くといいな。

 

これを書いていても、まだ涙は止まらないけれど、ばあばにもらったたくさんの愛情を僕は忘れず、生きていきたいと思う。

 

これからもずっと、心の中のばあばが笑顔でいられるように、前向きに過ごしていければいいな。

 

ばあばらしく、そっと優しく見守っててね。

たくさんたくさん、ありがとうね。

安らかに、眠ってね。

 

あんまり泣いているとばあばに怒られそうなので、また笑顔で頑張っていこうと強く決意をしました。

 

2020年もよろしくお願い致します☺️

 

 

 

おしまい

 

 

 

 

 

 

反省と抱負

 

テレビの左上の23:59をこんなに見つめるのも大晦日ぐらいだななんて思っていると、表示は0:00に変わった。

 

新しい年だ。

 

この歳になると、さほどワクワクもしないし、大声で騒ぐこともない。家族にあけましておめでとうと伝え、自室に帰る。

 

毎年毎年、状況は違えど去る年の反省と新しい年の抱負を何となく考える。

 

2019年は東京から岡山に生活の拠点を移し、新しい環境で学生として勉強に励んだ。

 

5年間過ごした東京は、僕を時々ダメダメな人間にしたし、逆に逞しい人間にもした。

 

東京に出てきて1人で過ごす最初の夜の、あの不安と希望の入り混じった感情を僕は一生忘れないだろう。

 

東京に置いてきた思い出の景色。

 

友と語りながら歩いた道も、朝まで飲んだあの店も、一人ベンチでぼんやり眺めた公園の鳩もきっと心の中で生き続けるだろう。

 

環境が変わり、また新しい出会いがたくさんあった。バイト先では、僕より遥か年下の先輩たちが、僕に優しくしてくれる。時々会う同級生が応援してくれたり、病院の先生が褒めてくれたり、そんな些細な嬉しかったことを自信に変えて1年やってきた。

 

塞ぎ込むんじゃなくてオープンに、明るくやることができた1年だったと思う。

 

さて今年はどんな年にしよう。

 

周囲の人に助けられながら成長できた2019年だったからなあ。

 

色んな面で、今度は周囲の「想像を超える」人になりたい。

 

何でもいい。

想像を超えるくらい食べるでも

想像を超えるくらい笑うでも

想像を超えるくらい明るいでも

想像を超えるくらい面白いでも

想像を超えるくらい優しいでも

何でもいい。

 

周囲の期待値の遥か上を行く心掛けで

1年を過ごしてみようと思います。

 

決意をこめて、ここに書きました。

 

今年も1年、宜しくお願い致します。

 

 

おしまい

 

 

早起きの理由

カレンダーがどんどん薄くなって、吐く息が白くなって、水道の水がいつもより冷たくなって、冬が来たんだなと感じる今日この頃。

 

クローゼットの奥に眠っていたニットやマフラーたちは、やっと自分たちの出番がきたことを喜んでいるようにも見えた。

 

朝は寒くて、毎日布団とのお別れを惜しんでいる。

 

そんな僕も、最近は早起きだ。

 

朝5時、6時に設定した目覚ましの音を聞くことなく、布団を抜け出した僕は、2人で食べる朝食の食パンの残りが1枚になっていることに気付く。

 

1枚を2人で分けるか、買いに行くか。

まだ時間もあるし、散歩がてらコンビニまで歩くことを決めた。

 

玄関のドアを開けるとまだ太陽の光を浴びていない冷たい空気が頬に触れる。

一瞬怯み布団に帰りたくなるが、そんなことを許さないために自分の布団はさっきたたんだのだ。

 

まだ外は暗い。吐く息の白さを際立たせるような黒い空に、まだ星が見えている。

 

無数に散らばった星ですら、昨日お昼の番組で見た収納研究家のおばさんなら見事に片付けてしまうのかな。

 

そんな馬鹿なことを考えながら、コンビニで買い物を済まし、家に帰ってきた。

 

二人分のパンを焼く。

こんがりサクサクが好きな彼女のため、3枚焼きの時間設定で2枚のパンを焼く。

 

パンをセットしたら、バナナとリンゴのカットだ。指先は器用な方ではないが、バナナはフルーツ界皮剥きやすい王決定戦でここ何年も優勝しているし、リンゴの皮なんて、皮だと思ったこともないくらい普通に食べられる。

いやちゃんと剥くけどね。

 

カットしたフルーツをヨーグルトにぶち込み完成。

 

あとはコーヒー。

正直、パンを焼いたりヨーグルトを作っている間もコーヒーを飲みながらやりたいのだが、コーヒーメーカーの「ズズズズ、、カァーーー!」という喚き声で彼女が起きてしまうのではないかと思い、最後に淹れることにしている。

疲れてるだろうし、まだ眠いだろうから、寝れるだけ寝てほしいという僕からの配慮だ。

 

パンが焼けた。

うん、こんがりサクサク。

いちごのジャムを塗る。

1枚目はジャムを多く取りすぎて、パンの表面が完全に覆われたが、2枚目はその反省を生かし、薄めに塗った。

人間は学習する生き物である、なんて呟いたりしちゃって。

 

コーヒーメーカーのスイッチON。

「ズズズズ、、、カアアアアァーーー!」

うるせえなあ、気合い入りすぎだろ。

2分もすれば大好きな香りが漂い、音なんて気にならなくなった。

 

彼女の分はマグカップに、自分の分はタンブラーに入れて、これで朝ごはん完成。

 

ジャムを多めに塗ってしまった1枚目のトーストを彼女の席に置き、まだ寝ている肩を揺する。

 

冬眠から目覚めた森の動物のようにムシャムシャと美味しそうに食べている。しばらく見とれていた。

 

「美味しいね、作ってくれてありがとう」

 

こういうことをちゃんと言ってくれるところを僕はずっと大切にしたい。

 

早起きをする理由を作ってくれてありがとう。

幸せそうなその顔が、毎日頑張らせてくれる。

 

腰の重い僕が、最近毎日早起きをする理由はそんな感謝の気持ちからなのかもしれません。

 

明日も、明後日も、毎日同じメニューでも、きっと毎日少しずつ違う味。

 

明日も早起き、頑張るんだ😊

 

おしまい。

 

 

 

扇風機に捧ぐ

そういえば書いてなかったな。

 

なんて書出しで始めるけれど、ずっとずっと文章を書いていないことが気掛かりではあった。

 

 

10月もあと数日。

 

あたりを我が物顔で吹き抜けていた金木犀の香りもそろそろ冬支度に入ったのか、さほど気にならなくなった。

 

ああ秋だなあと感じた時には、もう秋は終わりかけていて。

 

部屋の端っこに追いやられた扇風機は、居心地悪そうにこっちを向いている。

 

何処に風を送るでもなく、ただそこに佇んでいる。

 

 

『もしかしたらもう今年は出番ないのかなあ。』

 

 

ベンチで出番を待つ控え選手のような、そんな気持ちでそこにいるのだとしたら、少し申し訳なくて、早く片付けてあげた方が君のためなのかな、なんてそんなことを思った。

 

夏にはあんなにお世話になったのに、涼しい季節になった途端、部屋の邪魔者扱いされるのはなんだか可哀想で、なんとなく扇風機に同情してしまった。

 

明日綺麗に拭いて、片付けてやろう。

また来年、気持ちの良い風を送る時まで、少しだけ休んでいてもらおう。

 

ありがとう。

夏は君のおかげで、少しだけ幸せになれたよ。

 

少しの幸せでもいいから、周りに与えられる、そんな人に僕もなれたらいいな。

 

 

秋の夜長に、一人で思ったことです。

 

秋の夜長の扇風機への鎮魂歌(レクイエム)

 

いや扇風機は死んでないよ?

しかも鎮魂歌(レクイエム)って自分で入力しててすごく恥ずかしくなった。

扇風機への鎮魂歌(レクイエム)

劇場版コナンのタイトルじゃないんだから。

 

気を張らず、軽く緩く、書いていこう。

忙しくても。

好きなら書け、俺。

 

おしまい。

 

 

 

 

 

人生の分岐点

かなりの回り道をしている人生だと思う。

 

就職も周りより遅いし、孤独に感じることも多々ある。

 

ただ、2018年という年は僕にとって大きな一年になると思う。

 

孤独と劣等感と戦いながらも、やりたいことを全うした一年だった。

 

書くことの楽しさに出会い、美しいものに触れ、自分という人間が好きな物事にたくさん気付けたような気がする。

 

軸と言ったら大袈裟なのかもしれないが、何か芯のない自分が、「僕はこういう人間です」と言うことが出来るようになった。

 

それは考える時間がたくさんあったのも理由の一つだが、周りの素敵な人たちとのふれあいがもたらしてくれたものだと感じている。

 

特に5月にこのブログで病気のことを書いて以来、読んでくれた周りの人たちと、なにか素というか、本音でふれあうことが出来るようになった。

 

地元の友達、大学の友達、恋人、家族。

本当に素敵な人ばかりで、みんなの顔が浮かぶ。

浮かんでくるみんなの顔はもれなく優しい笑顔で、その人たちが僕にもたらしてくれる幸せが今の僕を作っているんだと思う。

 

本音で病気のことを話した相手は、本音で色んな話を僕に打ち明けてくれるようになった。

 

人と本音で話すことでこんなに心は軽くなるのかと、感動したのを覚えている。

 

今まで1人で抱え込んでいたものを、周りの人たちが一緒に持ってくれるというか、なんだか肩の荷が降りたような、そんな気分だ。

 

本当に周りを見渡せば、いい奴ばっかりだ。

 

「自分は自分が創るものだ」という考え方から、「周りの環境こそが自分を創る」という考え方に変わった。

 

それくらい僕の周りは優しい世界だ。

 

優しくて幸せな世界だ。

 

今後なにか嫌なことや、試練が訪れたとしても、それは「長い幸せの線」の中の「一点」でしかない。

長い目で見ればそれは全部長い幸せの中の一点で起こることであって、引きで見れば幸せなんだと思う。

そんな風に考えるようになった。

 

というか、そう考えることが僕にとっての「幸せ」なのかもしれない笑

 

これからも、孤独と戦わなければならない時はたくさん訪れるに違いない。

そんな時は、自分を支えてくれている人たちのことを思い出しながら乗り切っていこうと思う。

 

大好きな人たちと、人生に色を付けて行くんだ。

色のない、モノクロだった人生に彩りを。

 

僕の人生に幸あれ。

 

なんやそれ。

 

良いお年を!

 

 

おしまい。

 

 

 

 

 

 

僕を支配しているもの

生きていく上で自分の行動を左右しているものは、意外と一つの大きな観念であったりする。

 

観念、それはテーマとでも言おうか、それに基づいて自分は行動をしているような気がする。

 

己の欲せざる所、人に施すことなかれ

 

これは孔子の有名な言葉である。

 

自分のして欲しくないことは、人にするべきではない。

 

僕はこの言葉の通り、自分のして欲しくないことは人には決してしないようにしている。

 

人の気持ち、特に負の感情には人一倍敏感に生きてきたという自覚がある。

 

でもまあ簡単に言えば「嫌われたくない」という誰にでもあるような考えからかもしれない。

 

でもそれは、僕の人生の大部分を支配している考えであり、この言葉の通り、生きてきたつもりだ。

 

「支配されている」と言うと悪いイメージがあるかもしれないが、これは必ずしも僕の人生を制限したり、しがらみになっている訳では無い。

 

この生き方をする上で大切になってくるのが、「相手の気持ちを考える」という行為である。

 

僕は人の気持ちに敏感で、その人が今何を考えているのか、そして何を求めているのか、そんなことばかり考えている。

 

自分がされて嫌なことを人にしない。

 

これは案外簡単なことである。

基本的に万人が不快に感じることを避ければ、その人を嫌な気持ちにさせることはまずない。

 

適度な距離を取り、適切なコミュニケーションをとっておけば、マイナスのイメージからはいくらでも逃げられるのだ。

 

問題はここからだ。

されて嫌なことはわかりやすい。

難しいのは「されて嬉しい」こと。

 

自分がされて嬉しいことが、人にとってもそうであるか、これを考える時に僕の頭によく浮かぶひとつの言葉がある。

 

「余計なお世話」

 

この言葉が本当に鬱陶しい。

自分はされて嬉しいけど、この人にとってはどうなのか?果たしてその人にとってもやるべき事なのか。そんなことをずっと考えてしまう。

もしかして僕がこの人にやろうとしているのは余計なお世話なのではないか、そんな一抹の不安が、施しに待ったをかけるのだ。

 

僕にとっての当たり前が、他人にとっての当たり前ではない。

人はみんな違う人間であり、考え方も十人十色である。

 

誰かと意見が違った時によく耳にする言葉で、

「普通に考えればわかるじゃん」というものがあるが、僕は決してこれを言わないようにしている。

 

自分にとっての普通が誰にでも当てはまるものではないことを知っているから。

そしてその当たり前を押し付けることが、その人にとってどれだけ重いものとなるかを考えているからである。

 

それは家族であっても同じだ。

長く連れ添った家族であると、「当たり前」が共有されている点は多々ある。

それが家族の中での常識であり、行動のパターンとなる。

もちろん悪いことではない。

 

しかし家族も言ってしまえば別の人間。

価値観の違いだってもちろんある。

だから、僕は家族に対しても自分の意見を言いたいし、相手の常識と自分の常識をすり合わせる過程を大切にしているつもりだ。

 

自分の常識を世界の常識だと思わないこと。これを大切にするが故に、僕は人に「されて嬉しいこと」を施すことに戸惑っているのかもしれない。

 

やらない善よりやる偽善

 

そんな言葉もあるが、やはり僕は善を施したい。

難しいことだ。

何より大切なことは相手の気持ちを考えること。そして施す善に自己満足をしないことかもしれない。

 

これからも人の気持ちには、人一倍敏感でありたいし、自分の当たり前を押し付けるような人間にはなりたくない。

 

そんなの言わなくても当然のことだけど、簡単に出来るのならこんな文章にはしていない。

 

よく考え、結果的には幸せでありたい。

自分も、周りの人も。

 

色んな人の心からの笑顔を、僕は見てみたいのだ。

 

 

 

おわり